パワハラ上司と不機嫌な同僚と毒親に囲まれた人の日記

パワハラ上司と不機嫌な同僚と毒親に囲まれた人の日常です。

2019/7/16の記録

最近、朝からNHKでは参議院選挙の政見放送をやっています。

毒両親は、政治には全く関心がない人で、しかも自分たちの住んでいる選挙区ではない地域の

政見放送には全く興味を示さないので、即NHKからどこかにチャンネルを変えます。

私は、選挙区が異なってもその政党の候補がどういう考えなのかは、

自分の選挙区の投票に無関係だとは思わないのですが・・・。

 

■ついに座席移動が実現

今まで、エース君、パワハラ上司と私の3人だけで隔離された部屋で仕事をしていましたが、

この部屋が、今後使えなくなるため、どこかに3人を座席移動させることになりました。

私は、システム開発チームの一部と、インフラチーム、サポートチームがいるところに、

席が1席確保できたのでそちらへ。

エース君、パワハラ上司は、それまで会議室だったスペースを一部仕切り、

2人だけで隔離になりました。

まあ、パワハラ上司も私と2人というのは考えてはなかったと思いますが、

エース君の心境はお察し申し上げますが、

2人となった時点でパワハラ上司を相手できるのはエース君しかいません。

パワハラ上司が裏で陰口を言っても同調するのはエース君だけでしょう。

私は、「どうなんですかねー」といって逃げますから。

 

というわけで、パワハラ上司の目の届かない場所で仕事ができるようになりました。

 

が、ここで怖いのは、直接文句を言えないので、

チャット経由で文句を言われるのではないかが心配です。

個人向けのチャットで文句を言われるのは、まだいいのですが、

全員が見ているチャットで、晒されるように怒られる機会が増えそうなのが心配です。

あとは、何かあったら、別室から飛んできて、やはり他の人が見ている前で晒されるように怒られる気がします。

人に見られないで叱るということが物理的に難しくなったのと、

もともと人前で大声で晒し者にしないということができないパワハラ上司なので、

人前で晒し者にされるんだろうな。

あとは隔離部屋で、エース君と「あいつだめだ」と文句を言うんでしょうね。

 

まあ、どうなるかはお楽しみ(?)

2019/7/13~2019/7/15の記録

いわゆる世間的には3連休の日でした。

3連休ということは、それだけ毒親に触れる時間も長くなり、試練の3連休でした。

■2019/7/13

この日は、両親ともが早朝から夜まで外出。

なんでも、毒母の着られる服が田舎にはないので、

わざわざ高速使って2時間以上かかる政令指定都市までお買い物だそうです。

そのため、夜までは平和に過ごしました。

が、帰ってくるといつものように、ありとあらゆることに文句を言い始めます。

車の運転は父親任せで、自分は乗っているだけなのですが、「疲れた。」

「人混みがだめだ」などと言っていました。

そんなに人混みがだめで、疲れるのなら田舎で買える服を着ればいいのに。

 

■2019/7/14

この日は比較的平和でした。

少し文句を言われましたが、スルーしていました。

 

■2019/7/15

この日、特に私には予定もなく、毒親にも予定がなかったので9時半ころに起きました。

予想はしていましたが、「起きるのが遅い」とまず言われました。

大体8時頃に起きないと遅いと言われることがあるのですが、

8時に毒母が起きるとは限らず、8時半の日もあったりするのですが、

そうなると、8時に起きていて物音を立てようものなら「うるさい」と怒られるので、

毒母が起きるより少し遅い時間に起きればよいのでしょうが、

日によって時間が変わるのに、いちいち合わせてなんていられません。

それに、そんなに早くから毒親たちの顔を見たくもないので、

あまり早く起きないというか自室から出ないようにしています。

 

で、起きるのが遅かったので「罰として全部屋掃除しておくように」

という、意味不明なことを言われ、家中の部屋を掃除させられることになりました。

もう、意味が分かりません。

毒親も休日には、そこまでしっかり掃除をしないことのほうが多いのですが、

しっかり掃除をしないと許されません。

髪の毛1本でも落ちていようものなら、ホコリが少しでも残っていたら、

その他何かゴミがどんなに小さくても残っていたら、罵声を浴びせられることは分かっているので、

念入りに掃除をすることになり、昼前までほぼ掃除で終わりました。

 

昼食はカップ焼きそばでした。

一人暮らしの頃、あまり連絡を取ることもない毒母でしたが、

親戚の集まりなどで私に会うと必ず「また太ったのか!」と怒っていました。

確かに太ってはいたのですが、そこまで怒られるほどのことなのかいつも疑問でしたが、

なぜ太っていると怒られるかの予測は大体ついていました。

毒母と相性の悪かった父方の祖母が太っていたからです。

だからなのか、「お前はあちら側(父方側)の血が流れてるんだな」などと言われました。

そりゃそうでしょう。母方の性質だけ受け継いでいるはずはないでしょう。

そして「太っている人間はだらしない。自己管理ができていない。就職・転職ができない。彼女もできない。

世の中の人も仲良くしたいと思わない。」

など、色々と親戚が見ている前で怒鳴られるのでした。

そして決まって「カップラーメンばかり食べているからだ」という謎の決めつけ。

実際、一人暮らしのとき、それほどカップラーメンやインスタントの袋麺の類は食べていませんでした。

月に1回とか程度でした。

 

そんな毒母が、最近やたらとカップラーメン・インスタント焼きそばの類を

昼食として買ってくるのです。

私に拒否権はないので、仕方なく食べるのですが、

それまで散々カップラーメン、インスタントラーメン類は悪だと言うことを展開しておいて、

何故か今では毎週末のようにカップラーメンを食べることになっているという矛盾。

 

まあ、毒母らしいです。

それまでいくら他人に対しては否定しているものでも、自分が楽をするためになら手段を選ばない。

それが毒母の性格です。

まして、私に下手に掃除を言いつけたことで、食事準備要員がいなくなったので、

カップラーメンに流れるのです。

もちろん掃除の手を止めさせて、食事を準備させることもできるのですが、

それだと時間がかかって仕方がないのと、

買い物にまで私がでかけている姿を近所の人に見られると、

毒母は何もしていないとバレ、世間体的によろしくないので、

買い物だけは毒母が自分で行くことにしたようです。(ただし車の運転、荷物持ちは毒父)

 

そんないたたまれない午前中~昼を過ごしただけで、もうぐったりしてしまい、

何をする気にもなれず、テレビを見ながらぼーっとしているという無意味な1日でした。

毒母について

毒母について書いておきます。

 

毒母は、父方の祖母(父の母親)との相性がものすごく悪い人でした。

結婚当初は、父方の実家で暮らしていたらしいですが、

色々と耐えられないということで、賃貸に引っ越すことになります。

となると、もう毒母の自由。

父方の実家に寄り付くこともなければ、父方とはあまり親戚付き合いもしない人でした。

祖母は祖父が死んでから、今、私が住んでいる家を増築する形で同居することになりました。

ただし、完全な同居には断固反対だったため、基本的には祖母は祖母のエリアで

すべてが済ませられるようにしていましたが、唯一無理だったのが風呂を作ることでした。

そのため最初の頃は、祖母が母屋の方の風呂を使いに来ていたのですが、

だんだん居心地が悪くなったのか、風呂を使いに来ることはなくなり銭湯に行っていました。

そして、母屋との間に1箇所ドアがあるのですが、基本的に施錠されていました。

 (母屋側からは当然自由に開閉できるが、逆側からは自由に出入りできない)

それに対抗してか、祖母も部屋に鍵を取り付けて、勝手に入られないようにしていました。

それくらい相性の悪い毒母と祖母でした。

まあ、どっちも嫌いだったけど。

家の祖母が住んでいたエリアには仏壇もありますが、

お盆にお坊さんが家に来るので、そのときだけ扉が開かれ、

ろうそくに火が灯り、線香も焚かれますが、

それ以外の日は扉が閉められ、誰も参ったりしません。

祖母も死ぬ前から、毒母の文句を親戚に言い続けて死んでいき、

それを毒母が親戚に聞かされたので、ずっと恨んでいるのでしょう。

 

そんな親に育てられると、私みたいな歪んだ欠陥品が生まれるのですが、

欠陥品が生まれる一部の過程を書いてみようと思います。

毒母にやられてきたこと

主に、虐待(精神的にも肉体的にも)、医療的ネグレクトです。

虐待

 殴る蹴るは当たり前です。

理由はよく分かりませんが、言うことを聞かなかったとか、

気に入らないことがあったからとかそんな感じのことが多かったです。

精神的にも、色々ひどいことを言われたのですが、

言われすぎていて覚えていない。

あと、一人暮らし時代は、私には家族などいないと考えていたので、

記憶から消してしまっている部分もあります。

実際、いとこの結婚式や、母方の祖母の葬式で両親に会うことはありましたが、

それ以外では、突然アポ無しで家に押しかけられて仕方なく1回会ったくらいですね。

20年近く、連絡を取ることもなく過ごしていました。

そして虐待されない生活を満喫していました。

 

覚えていることを少し書きます。

スプーン事件

これは、何かで毒母に怒られたときでした。

毒母は、私とはこたつの向かいの側に座っていたのですが、

いきなり金属製の大きなスプーンを顔に向かって至近距離から投げられました。

当然、私は反射的に避けましたが、そのときに言われた言葉がこちら。

「なぜ避けたんだ。壁に穴が空いたじゃないか!」

えっと、壁に穴が空くほどの力で投げたスプーンが、私の顔にあたっても問題はないんですか?

目にスプーンの柄の部分が刺さったらとか、考えませんでした?

 

宿題の成果が気に入らない

担任が体罰教師で宿題も小学生には過剰とも思える量を出すような人だったので、

宿題をこなすのも結構大変だった記憶があります。

例えば、漢字の書き取りが毎日課せられていましたが、

書き取りのノートの1ページの中に1文字でも、丁寧に書かれていないと判断された場合は、

全部消され、もう一度1ページまるまるやり直しということは日常でした。

宿題が全部完了するまで夕食も食べられませんでした。

夕食が深夜になることもよくありました。

 

ちなみに、体罰教師が課した宿題で最も過酷で印象に残っているのは、

小5(6かも?)に、400字詰め原稿用紙100枚の小説を書いてこいというものでしたね。

まあ、さすがに翌日提出ではなかったですが、数週間で書くようにということでした。

私はなんか適当に文章を引き伸ばしたりして、なんとか100枚書きましたが、

書き終えたのは深夜2時とかだったと思います。

大半の人が書き終えることはできませんでした。

なお、これについてのフィードバックはありませんでした。

おそらく体罰教師は読まずに捨てたのだと思います。

 

授業で習っていなくてもできて当然

学研の月刊の学習ドリルのようなもの(国語と算数)をやらされました。

体罰教師は、これも気に入らないことがあるとすぐに授業をつぶして学級会を開き、

みんなの前で誰かを公開処刑したり、教室から締め出し授業を受けさせないなど

という行為が日常化していました。

そんなこともあり、授業などまともに進むはずもないのでした。

しかし、毒母は学研のドリルを、学研のドリルのペースで進めることを強要します。

例えば6月号は6月中に終わらせるみたいな感じです。

でも、頻繁に学校ではまだ習っていない範囲に突入していくのです。

学校でも習っていないことを、誰にも教えてもらわず、説明もほとんどないものを見て

いったい、どうやって解けばよいのか・・・。と途方に暮れていましたが、

毒母の理論は「全国の小学生が○月にやるんだからお前にもできるはずだ」といって、

教材は丸投げして、何か教えてくれるわけでもなく、教科書を見ることも許されず、

ドリルのヒントなどを見ながらなんとか解くということを強いられました。

これもノーヒントで全問正解するまで食事は食べられませんでした。

追い出す

何か気に入らないことが、最終的には家から追い出されます。

クソ田舎の、冬は氷点下になるような土地なのですが、

防寒着など用意する間もなく、家の外に出されます。

最初の頃は「家に入れて」などと叫んでいましたが、

叫ぶと「うるさい」とさらに怒られるので、叫ぶこともできなくなりました。

今だったら、多分、虐待で通報されていると思いますが、

当時はそういう仕組みもなかったので、周りの住人たちも放置していました。

 

とにかく手伝い

小学生になった頃には皿洗いや食事の準備、掃除などさまざまなことを手伝うように言われ、

やったことをチェックされ、ダメ出しされやり直しみたいなことを繰り返していました。

(今、会社でパワハラ上司にやられていることとあまり変わっていないwww)

私には妹がいるのですが、妹は小学生になっても、家事の分担は一切ありませんでした。

それは、私が高校卒業後家を出るまで続きました。

その頃、妹は中学生になっていましたが、一切手伝わせなかったですし、

私が兄なのだから、兄がやるのが当然。という認識でした。

妹がテレビを見ながら笑いながら休んでいるのを横目に、

受験が控えていようと、何があろうと、私は家事を続ける日々でした。 

医療的ネグレクト

私は喘息持ちだったので、小さい頃はときには夜中に発作が起き、

どうしようもなくなって、父が救急病院につれていくこともありました。

喘息の発作中は咳をしたり、喉がヒューヒューなったりするなどするのですが、

その時、毒母に決まって言われるのは「うるさい。咳くな!」でした。

仕方がないのでなるべく咳をしないようにと苦しみながらも、ひたすら耐えていました。

病院からは発作時のために、頓服薬が渡されていましたが、

毒母は「こんなものに頼るようなからだになってはだめだ」

といい、頓服を隠したか捨てたかどちらかしました。

なので、実家にいた頃頓服を飲んだことがありませんでした。

そこで、どうしようもなくなると父に救急病院に連れて行かれたのですが、

その前に、頓服を飲めばよいのに・・・といつも思っていました。

 

実家を出てから、頓服が使えるようになってから、本当に楽になりました。

これさえあれば、少なくとも一晩苦しむとか必要なかったじゃないかと本当に思いました。

喘息は、放置すれば死に至ることもある危ない病気なのですが、

毒母はそれを一切認識していませんでした。

それどころか、発作を起こすお前が悪いと言って、発作を起こすと怒られました。

 

あと、これも以前書いたことなのですが、喘息の発作中は、

苦しすぎて、横になる方がさらに苦しくなるのですが、

毒母は、横になれば楽になるという、一般的な病気に対する対応知識しか持っておらず、

(自分の子供が喘息なのに、喘息に対する知識は全く持っていなかった)

そんなにしんどいなら横になれ!ともよく怒られていました。

仕方ないので、苦しくなるのが分かっていながら横になり、

しばらくしてからまた上体を起こすということを繰り返していました。

これらをまとめて

私は、社会人になってからうつを発症し、不眠症になりました。

今でも治ってはいません。

心療内科などに行くと、病院によっては臨床心理士の方や医師から色々聞かれ、

子供の頃の生い立ちから、その当時に至るまでの色々なことを話すことになります。

前にも書いた気がするのですが、ある臨床心理士の方からは、話を聞いたあと、

「よく、今まで生きてこられましたね。」と言われました。

その前から、特に高校卒業後実家を出てから、実家の毒母はおかしいと

気がついてはいたのですが、他人に客観的にそれは毒親だ、それはおかしいと言ってもらって、

自分が間違っていないんだと改めて認識した記憶があります。

 

それならなぜ実家に戻ってきたのか

はっきり言って、戻りたくはなかったのですが、

精神的に不安定な部分もあり、仕事もあまりうまくいかなくなり、

一人暮らしも難しくなって仕方なく戻ってきたという感じです。

実家だと、一人暮らしのときとは違って、家にいることで心が休まらないので、

会社に行くのか家にいるのかどちらを選ぶかとなったとき、

パワハラ上司がいてどうしようもないけども、家よりは少しだけましという理由で

会社に行っているので、会社を休むことはほとんどなくなりました。

それだけ見ると、毒母はやっぱり実家にいたほうが調子がいいだろうみたいに思うようですが、

そうではなく、このクソ田舎には、会社をサボってどこかで遊んで1日時間をつぶし、

夜になったら、しれっと家に帰れるような環境がないから会社に行っているだけで、

本当は会社にも行きたくない日が結構あります。

Twitterに、よく会社に行きたくないとか書き込んでます。


 

本当に、会社にも行きたくない日は、仕方がないので、

会社の人の通勤時間や通勤経路(大まかには予想できるので)を外したところで待機し、

通勤時間が終わったら、車でそのまま、別の街に行くこともあります。

半年に1回位ですけど。

 

できるなら、一人暮らしに戻りたいですし、

このクソ田舎から出たいと、常に思っていますがなかなか難しいのです。


 

毒母の特徴としては

  • 世間体を気にする
    自分がどう思うかではなく、周りはどう思おうかを気にする
  • 気に入らないものには徹底して文句を言う
    あれ、これってパワハラ上司と同じじゃ・・・
  • 人のミスには厳しいが、自分のミスには甘い
    あれ、これって(以下略)
  • 妹は大事。お前はどうでもいい。
    妹は結婚して家庭がありますが、孫がいるので事あるごとに様子を見に行きます。
    私は住居を提供してやっているのだから、あとは文句言うなという扱いです。
    ちなみに、そんな妹は孫を連れて実家に来たことはありません。
  • 自分(毒母)は弱い人間なんだからいたわれ!
    だから家事もお前(私)がやれ。

という感じですかね。

特徴があまりまとまっていなくて申し訳ないです。

2019/7/12の記録

なんでも、会社の建物を増築する関係で、

色々と物を片付けたり、人が移動したりする必要があるのですが、

パワハラ上司が増築に関して仕切ることになっているのです。

普段からものがきちんと整理されているとか、

片付いているとかいう会社ならこういうときに慌てないのでしょうが、

当社はそのあたりはかなり適当で、倉庫になぜか使わない(使えない)モニターが山積みになっているとか、

そもそも増築にあたって、工事期間どのように仕事をするのかとか、

物は処分でよいのか、一時的にどこかに待避なのかなど、

全く計画が立てられておらず、いよいよ来週には、工事部分を空けなければならない状態になり、

急遽、色々と片付け始めることになったようなのです。

しかし、ノープランで始めているので、1日経っても大して片付きませんでした。

社長も社長で、増築に関しての諸作業は任せたと言っておきながら、

急に、「あれはどうするんだ?」、「あれは動かせない」とか色々言い始めるし、

パワハラ上司も右往左往するだけで、本当に何も進んでないようです。

 

なぜ、伝聞調なのかというと、私も片付けとか手伝うかもしれないとか、

自席を移動させるなどの作業が発生する予定だったのですが、

他のものの移動先が決まらないので自席の移動は中止になり、

一応、こういうときに「手伝うことはありませんか?」と聞かないと、

パワハラ上司はすごく不機嫌になるので、私も含め、何人かが聞いたようなのですが、

帰ってきた答えが、

「まだ、何かを頼める状況じゃないので何もしなくてよい」

なんと、計画性のないことよ。

そして、パワハラ上司は、部下が同じように段取りの悪いことをしていたら、多分、

その段取りの悪さを責め立てることでしょう。

それも、作業中に。

 

でも、この人の性質は、「他人には超厳しく(お気に入りは除く)、自分には超甘く」

が基本なので、作業が進まなくても大して気にしていないようでした。

あと、計画性とか一貫性とかいう言葉も無縁な感じの人です。

 

なので、私はこの件には特に触れず、淡々と自分の仕事をこなし、

定時過ぎてしばらくで退社しました。

ひょっとしたら、帰ってから「あいつは何も手伝わない」とか言ってそうですが。

2019/7/11の記録

仕事面ではそれほど問題になる事はなかったです。

パワハラ上司は、何かで忙しかったのか、他人を怒る余裕すらない感じです。

いいんです、それで。

管理職なんだから、関係各所との調整とか、そういうことを特にやらなきゃならないんです。

それがあなたの仕事です。

とは言いつつ、報告に来た他部署の人に、嫌味ったらしい事言ってましたけどね。

  • 事前の報告がない
  • 事後の報告もない
  • おかげでこちらの作業が止まった

要点はそんな感じです。

まあ、他部署内での情報共有がされていなくて、

誰も正しく状況を把握できていなかったのですが、

なぜ、こんなに人数も少ない会社でこんなことがおきるのか?

多分、組織として仕事を進める体制になっていないのだと思います。

なんというか、組織なんだけど個人事業主の集まりみたいになっているのです。

それはそれで解決が必要なのですが、

こちらも仕事を依頼して放置していたという問題があります。

 

しかし、そこはさすがパワハラ上司です。

そんな事は棚上げ。

自分は悪くない。

悪いのは報告しないやつ、で終わらせました。

 

さらに作業が止まったと主張していますが、

止まっていたわけではありません。

できる範囲で、担当者間が調整して動いてはいました。

それも、あなたのお気に入りの女性と、エース君が。

(ちょっといちゃつきながら進めてたので、

見てる私ですら、いちゃつきながら進めるのはやめて。

しかも、文字で残る、グループのチャットでいちゃつくのは本当にやめてって思いました。

 

私にそんないちゃつきながら仕事のできる人などいないという

単純にうらやましいぞという思いはあります。)

それはどうでもよいのですが。

 

■毒母の奇妙な行動

眠れないからといって、真夜中に文句を叫びます。

そして、眠っていた家族をおこすという暴挙にでています。

あと30分程で眠れなかったら叫ぶ気がします。

今まで、さんざん不眠症の私に、無理解で配慮のない言葉をなげつけてきた

罰だと思って眠れない日々を過ごしてください。

 

2019/7/8~7/10の記録

■2019/7/8

パワハラ上司が午後からの出社だったので、午前中は割と楽だったのですが、

午後から出社してきてからが面倒だったですね。

あるドキュメントを書いています。

最初は、そのドキュメントは用意しなくてもよい流れだったのですが、

パワハラ上司から「分かりにくいから準備せよ」との鶴の一声で準備するはめに。

これが6月の半ばだったでしょうか。

それから、作っては直しが入り・・・を繰り返し、

たかだかA4で6ページ程度の文書に1ヶ月近く費やすことになりました。

その指摘も、あまり的を得てないというか、はっきり言えば、

気分で指摘内容が変わるんですよ。

なので、前日まで何も指摘されなかった箇所が、急にここがだめだとものすごいダメ出しされるのです。

そんなことを繰り返していたのですが、いよいよ最終局面を迎え、ある程度内容が固まってきました。

パワハラ上司も色々言いすぎて、自分でも何を言ったのか分かってないので、

もう、何も言わなくなりました。

あとは部長が色々と丁寧に、こんな書き方だといいんじゃないのとか、教えてくださったので、

本当に助かりました。

さすがに部長の添削をひっくり返すのは、今までなかったわけではありませんが、

あまりやりたくないみたいです。

 

一方、家では毒母が何か文句を言い続けていましたが、スルーしていました。

スルーする力大切。

 

■2019/7/9

パワハラ上司休暇。

社内は比較的平和なのですが、そうなるとエース君とかが、細かいことをグチグチとついてくるんですよね。

そして、ソース管理上の問題が発生。

おそらく犯人はパワハラ上司。

だが、エース君もパワハラ上司に指摘するのは無駄だと感じているので、

事実を知ったところで、そっと蓋をして終わりました。

しかし、そのおかげで1時間位無駄な調査などをしたな。

 

エース君は何を言っても、パワハラ上司も言うことを聞かざるを得ないので、

本当は色々言ってほしいんですけどね。

この人、割と自分が良ければそれで良しって感じなのですよね。

あ、上司が見ていれば、他人にも協力するエースぶりを発揮しますけど。

 

この日は毒母がひどかったです。

父が、机の角に足を引っ掛け転倒したのですが、心配するどころか

「どうしてこんなところで転ぶんだ」

「よそ見をしているから転ぶんだ」

「もっとしっかり歩け」

「人に気をつけろと言っておきながら、派手に転ぶとは何事か」

・・・といった感じのことを、転倒してかなり痛がっている父に向かって言い続けていました。

父が相当痛がっていたので、私は非常に心配で、

立てそうか?とか、どこが痛いのか?など聞きながら、もしものことも考え様子を見ていましたが

その間も毒母の罵声は止まりませんでした。

 

■2019/7/10

ドキュメントの作成にようやくめどが立ち、後は実際の機能リリースを待つのみという感じまできました。

「昨日、あなたのおかげで無駄な作業・調査が発生しましたよ」

とは、誰も言えませんでした。

開発者間で決めたルールを守っていないがゆえに発生した不具合だったのですが、

誰もその事実を指摘できないところに、このパワハラ上司とその部下たちの関係性が

よく表れていると思っています。

制作部門で、大口のお客様の作業でミスが多発したらしいのですが、

その内容は、開発部門には知らされていないからなのか、

パワハラ上司は、昼休憩のときに制作の人に、

「誰がやらかしたの?」

などということを楽しそうに聞きまわっていましたね。

制作の人は、まあいろいろな要因があってみたいな感じで濁してましたけど。

しかし、これが管理職のやることか?と大いに疑問を持った瞬間でした。

社長からも全員にメールで、「誰かが悪いというような犯人探しのようなことをするのではなく、

全体でミスを防ぐような体制を作らないといけない」と送ってきているのに・・・。

パワハラ上司は、やらかした人を見つけ、吊し上げたかったのでしょうか。

それとも、裏で「やっぱりあいつか。あいつはだめだと思ってたんだよね。」みたいな話をしたかったのか。

真意は分かりませんが、社内全体の問題としてとらえないといけないときに、

よく、こんなことを言えるなって、心の底から軽蔑します。

 

ちなみに、このパワハラ上司のせこいところは、

お気に入りの女性たちや、その他の女性たちのいないところで聞こうとしていたところですね。

この人は女性たちの中心にいて、持ち上げられていないと不機嫌になるような人なので、

女性に悪く思われたくないというのがミエミエなんですよ。

 

しかし、悪い話ばかりでもありませんでした。

社内の改築工事の関係で、私はパワハラ上司と、ネチネチエース君の3人しかいない部屋で、

1年半くらい仕事をしていましたが、ついにこの2人とは別の部屋で仕事をすることになりました。

スペースの都合上収まらないという理由ではあるのですが、

少なくとも同じ部屋にいることで感じていたストレスは軽減しそうです。

一方で、同じ部屋に隔離されていたことにより、パワハラ上司の行動を観察できたのですが、

それができなくなるのは残念ですね。

書くネタが少なくなるっていう意味でです。

 

まあ、パワハラ上司はそんなことに関係なく、大勢の人がいる前で大声で怒鳴ることも

頻繁にあるので、大勢の前で怒鳴ったらそれについて書けそうですし、

他にも会議で怒鳴るとか、パワハラ上司がいる部屋で説教されるとかは起こり得るので、

直接目に触れる機会が減るくらいのもんですかね。

 

2019/7/7 毒母の記録

今朝、9時過ぎに起きると、いきなり「遅い!いつまで寝ているんだ」と

叱責される事から一日が始まりました。

別に、何か予定があって、早起きしなければならなかったなどということは

一切なかったので、理解できませんでした。

その後、「遅く起きた罰として掃除をしておきなさい」と、

家中の部屋の掃除をさせられました。

 

子供の頃から、何かというと罰として掃除とか、

皿洗いとかの家事を押し付ける傾向があったので、

私はすっかり、家事が苦手というか嫌いな人間に育ってしまいました。

家事=罰というパターンが刷り込まれているからでしょう。

 

が、逆らっても仕方がないので、掃除はしておきました。

 

しかし、父が、今の私くらいの年の頃は、

休日の午前中に起きることがほぼありませんでしたが、

毒母はそれについて何も文句を言うことはありませんでした。

 

この差はなんなのでしょうか?

 

そして、夜。

父親がなぜか大好きなMr.サンデーをみていると、

レンタルさんの話題に。

やばい。この手の人の話題は毒母の神経を逆撫でする事が分かっているからです。

別の番組でレンタルさんが話題になったときも罵詈雑言の嵐でしたから。

今回も罵詈雑言の嵐でしたが、一番印象に残っているのは、

稼がない旦那なんていらない

という発言でした。

もう、男の人が一人で稼いで家族を養うなんてモデルは

崩壊しているのですが、そういうことは分かっていないんだなということと、

何より、旦那はATM程度にしか思ってないんだろうなと言うことを

感じさせる一言でした。

その旦那も年をとってきて、ATMとしての能力が下がってきたので

私が実家に呼び寄せられ、給与の半分以上を家に吸い上げられる生活をしているのですが。

 

もちろん、はじめからそんな事が分かっていれば、

絶対にこのクソ田舎の、自由もない実家に帰ってくることなんて

なかったのですが、色々と理由を付けて帰らなければならない状況を作り上げ、

騙されたと思ったときには、時すでに遅しでした。

 

つまり、あの人の心境は稼がない息子はいらないだと思います。

しかし、ここはクソ田舎です。

給与水準が物凄く低いです。

都会の同じ仕事の新卒の初任給より少ない給与の会社ばかりで、

よく生活が成り立つなと思うレベルです。

ひょっとしたら、くそ安い給与は私だけで、

他の人はびっくりするほど高い給与が支払われているのかもしれませんが。

 

そして、明日(もう日付は変わりましたが)からは、

またパワハラ上司のいる職場に出勤しなければなりません。

それを考えると、憂鬱で、できれば会社には行きたくないですが、

家も安心できないので、仕方なく会社に行くのだと思います。

逃げて、どこかで一日潰すというのもありでしょうが。

 

ああ、もう何もしたくないです。