パワハラ上司と不機嫌な同僚と毒親に囲まれた人の日記

パワハラ上司と不機嫌な同僚と毒親に囲まれた人の日常です。

毒母について

毒母について書いておきます。

 

毒母は、父方の祖母(父の母親)との相性がものすごく悪い人でした。

結婚当初は、父方の実家で暮らしていたらしいですが、

色々と耐えられないということで、賃貸に引っ越すことになります。

となると、もう毒母の自由。

父方の実家に寄り付くこともなければ、父方とはあまり親戚付き合いもしない人でした。

祖母は祖父が死んでから、今、私が住んでいる家を増築する形で同居することになりました。

ただし、完全な同居には断固反対だったため、基本的には祖母は祖母のエリアで

すべてが済ませられるようにしていましたが、唯一無理だったのが風呂を作ることでした。

そのため最初の頃は、祖母が母屋の方の風呂を使いに来ていたのですが、

だんだん居心地が悪くなったのか、風呂を使いに来ることはなくなり銭湯に行っていました。

そして、母屋との間に1箇所ドアがあるのですが、基本的に施錠されていました。

 (母屋側からは当然自由に開閉できるが、逆側からは自由に出入りできない)

それに対抗してか、祖母も部屋に鍵を取り付けて、勝手に入られないようにしていました。

それくらい相性の悪い毒母と祖母でした。

まあ、どっちも嫌いだったけど。

家の祖母が住んでいたエリアには仏壇もありますが、

お盆にお坊さんが家に来るので、そのときだけ扉が開かれ、

ろうそくに火が灯り、線香も焚かれますが、

それ以外の日は扉が閉められ、誰も参ったりしません。

祖母も死ぬ前から、毒母の文句を親戚に言い続けて死んでいき、

それを毒母が親戚に聞かされたので、ずっと恨んでいるのでしょう。

 

そんな親に育てられると、私みたいな歪んだ欠陥品が生まれるのですが、

欠陥品が生まれる一部の過程を書いてみようと思います。

毒母にやられてきたこと

主に、虐待(精神的にも肉体的にも)、医療的ネグレクトです。

虐待

 殴る蹴るは当たり前です。

理由はよく分かりませんが、言うことを聞かなかったとか、

気に入らないことがあったからとかそんな感じのことが多かったです。

精神的にも、色々ひどいことを言われたのですが、

言われすぎていて覚えていない。

あと、一人暮らし時代は、私には家族などいないと考えていたので、

記憶から消してしまっている部分もあります。

実際、いとこの結婚式や、母方の祖母の葬式で両親に会うことはありましたが、

それ以外では、突然アポ無しで家に押しかけられて仕方なく1回会ったくらいですね。

20年近く、連絡を取ることもなく過ごしていました。

そして虐待されない生活を満喫していました。

 

覚えていることを少し書きます。

スプーン事件

これは、何かで毒母に怒られたときでした。

毒母は、私とはこたつの向かいの側に座っていたのですが、

いきなり金属製の大きなスプーンを顔に向かって至近距離から投げられました。

当然、私は反射的に避けましたが、そのときに言われた言葉がこちら。

「なぜ避けたんだ。壁に穴が空いたじゃないか!」

えっと、壁に穴が空くほどの力で投げたスプーンが、私の顔にあたっても問題はないんですか?

目にスプーンの柄の部分が刺さったらとか、考えませんでした?

 

宿題の成果が気に入らない

担任が体罰教師で宿題も小学生には過剰とも思える量を出すような人だったので、

宿題をこなすのも結構大変だった記憶があります。

例えば、漢字の書き取りが毎日課せられていましたが、

書き取りのノートの1ページの中に1文字でも、丁寧に書かれていないと判断された場合は、

全部消され、もう一度1ページまるまるやり直しということは日常でした。

宿題が全部完了するまで夕食も食べられませんでした。

夕食が深夜になることもよくありました。

 

ちなみに、体罰教師が課した宿題で最も過酷で印象に残っているのは、

小5(6かも?)に、400字詰め原稿用紙100枚の小説を書いてこいというものでしたね。

まあ、さすがに翌日提出ではなかったですが、数週間で書くようにということでした。

私はなんか適当に文章を引き伸ばしたりして、なんとか100枚書きましたが、

書き終えたのは深夜2時とかだったと思います。

大半の人が書き終えることはできませんでした。

なお、これについてのフィードバックはありませんでした。

おそらく体罰教師は読まずに捨てたのだと思います。

 

授業で習っていなくてもできて当然

学研の月刊の学習ドリルのようなもの(国語と算数)をやらされました。

体罰教師は、これも気に入らないことがあるとすぐに授業をつぶして学級会を開き、

みんなの前で誰かを公開処刑したり、教室から締め出し授業を受けさせないなど

という行為が日常化していました。

そんなこともあり、授業などまともに進むはずもないのでした。

しかし、毒母は学研のドリルを、学研のドリルのペースで進めることを強要します。

例えば6月号は6月中に終わらせるみたいな感じです。

でも、頻繁に学校ではまだ習っていない範囲に突入していくのです。

学校でも習っていないことを、誰にも教えてもらわず、説明もほとんどないものを見て

いったい、どうやって解けばよいのか・・・。と途方に暮れていましたが、

毒母の理論は「全国の小学生が○月にやるんだからお前にもできるはずだ」といって、

教材は丸投げして、何か教えてくれるわけでもなく、教科書を見ることも許されず、

ドリルのヒントなどを見ながらなんとか解くということを強いられました。

これもノーヒントで全問正解するまで食事は食べられませんでした。

追い出す

何か気に入らないことが、最終的には家から追い出されます。

クソ田舎の、冬は氷点下になるような土地なのですが、

防寒着など用意する間もなく、家の外に出されます。

最初の頃は「家に入れて」などと叫んでいましたが、

叫ぶと「うるさい」とさらに怒られるので、叫ぶこともできなくなりました。

今だったら、多分、虐待で通報されていると思いますが、

当時はそういう仕組みもなかったので、周りの住人たちも放置していました。

 

とにかく手伝い

小学生になった頃には皿洗いや食事の準備、掃除などさまざまなことを手伝うように言われ、

やったことをチェックされ、ダメ出しされやり直しみたいなことを繰り返していました。

(今、会社でパワハラ上司にやられていることとあまり変わっていないwww)

私には妹がいるのですが、妹は小学生になっても、家事の分担は一切ありませんでした。

それは、私が高校卒業後家を出るまで続きました。

その頃、妹は中学生になっていましたが、一切手伝わせなかったですし、

私が兄なのだから、兄がやるのが当然。という認識でした。

妹がテレビを見ながら笑いながら休んでいるのを横目に、

受験が控えていようと、何があろうと、私は家事を続ける日々でした。 

医療的ネグレクト

私は喘息持ちだったので、小さい頃はときには夜中に発作が起き、

どうしようもなくなって、父が救急病院につれていくこともありました。

喘息の発作中は咳をしたり、喉がヒューヒューなったりするなどするのですが、

その時、毒母に決まって言われるのは「うるさい。咳くな!」でした。

仕方がないのでなるべく咳をしないようにと苦しみながらも、ひたすら耐えていました。

病院からは発作時のために、頓服薬が渡されていましたが、

毒母は「こんなものに頼るようなからだになってはだめだ」

といい、頓服を隠したか捨てたかどちらかしました。

なので、実家にいた頃頓服を飲んだことがありませんでした。

そこで、どうしようもなくなると父に救急病院に連れて行かれたのですが、

その前に、頓服を飲めばよいのに・・・といつも思っていました。

 

実家を出てから、頓服が使えるようになってから、本当に楽になりました。

これさえあれば、少なくとも一晩苦しむとか必要なかったじゃないかと本当に思いました。

喘息は、放置すれば死に至ることもある危ない病気なのですが、

毒母はそれを一切認識していませんでした。

それどころか、発作を起こすお前が悪いと言って、発作を起こすと怒られました。

 

あと、これも以前書いたことなのですが、喘息の発作中は、

苦しすぎて、横になる方がさらに苦しくなるのですが、

毒母は、横になれば楽になるという、一般的な病気に対する対応知識しか持っておらず、

(自分の子供が喘息なのに、喘息に対する知識は全く持っていなかった)

そんなにしんどいなら横になれ!ともよく怒られていました。

仕方ないので、苦しくなるのが分かっていながら横になり、

しばらくしてからまた上体を起こすということを繰り返していました。

これらをまとめて

私は、社会人になってからうつを発症し、不眠症になりました。

今でも治ってはいません。

心療内科などに行くと、病院によっては臨床心理士の方や医師から色々聞かれ、

子供の頃の生い立ちから、その当時に至るまでの色々なことを話すことになります。

前にも書いた気がするのですが、ある臨床心理士の方からは、話を聞いたあと、

「よく、今まで生きてこられましたね。」と言われました。

その前から、特に高校卒業後実家を出てから、実家の毒母はおかしいと

気がついてはいたのですが、他人に客観的にそれは毒親だ、それはおかしいと言ってもらって、

自分が間違っていないんだと改めて認識した記憶があります。

 

それならなぜ実家に戻ってきたのか

はっきり言って、戻りたくはなかったのですが、

精神的に不安定な部分もあり、仕事もあまりうまくいかなくなり、

一人暮らしも難しくなって仕方なく戻ってきたという感じです。

実家だと、一人暮らしのときとは違って、家にいることで心が休まらないので、

会社に行くのか家にいるのかどちらを選ぶかとなったとき、

パワハラ上司がいてどうしようもないけども、家よりは少しだけましという理由で

会社に行っているので、会社を休むことはほとんどなくなりました。

それだけ見ると、毒母はやっぱり実家にいたほうが調子がいいだろうみたいに思うようですが、

そうではなく、このクソ田舎には、会社をサボってどこかで遊んで1日時間をつぶし、

夜になったら、しれっと家に帰れるような環境がないから会社に行っているだけで、

本当は会社にも行きたくない日が結構あります。

Twitterに、よく会社に行きたくないとか書き込んでます。


 

本当に、会社にも行きたくない日は、仕方がないので、

会社の人の通勤時間や通勤経路(大まかには予想できるので)を外したところで待機し、

通勤時間が終わったら、車でそのまま、別の街に行くこともあります。

半年に1回位ですけど。

 

できるなら、一人暮らしに戻りたいですし、

このクソ田舎から出たいと、常に思っていますがなかなか難しいのです。


 

毒母の特徴としては

  • 世間体を気にする
    自分がどう思うかではなく、周りはどう思おうかを気にする
  • 気に入らないものには徹底して文句を言う
    あれ、これってパワハラ上司と同じじゃ・・・
  • 人のミスには厳しいが、自分のミスには甘い
    あれ、これって(以下略)
  • 妹は大事。お前はどうでもいい。
    妹は結婚して家庭がありますが、孫がいるので事あるごとに様子を見に行きます。
    私は住居を提供してやっているのだから、あとは文句言うなという扱いです。
    ちなみに、そんな妹は孫を連れて実家に来たことはありません。
  • 自分(毒母)は弱い人間なんだからいたわれ!
    だから家事もお前(私)がやれ。

という感じですかね。

特徴があまりまとまっていなくて申し訳ないです。